7月11日に大変興味深い最高裁判決が出ました。小法廷での判決ですが5名の裁判官全員の賛成での判決です。元信者の母親とその娘が母親が教団に献金した額の返金を求めていた裁判の判決です。事実審である一審と二審では原告が敗訴しました。そこで原告が法律審である最高裁へ上告していました。
私は裁判制度に余り詳しくありません。私のコメントに誤りがあるかもしれませんがご容赦下さい。一審と二審では元信者が書いた返金を求めない旨の念書の存在をもとに教団側の主張を認めました。元信者は念書に署名した半年後に認知症と診断されたようです。病気の進行は人それぞれですが、半年後に認知症と診断されたほどですから、念書に署名した当時は事理弁識能力は相当程度落ちていたと思料します。
しかも署名する様子等を教団側がビデオ撮影していたというのですか、後日の返金等請求を予め封じる対策を講じていたと考えられます。念書も印刷されたものであり、文言は元信者が自ら書き上げたものではないようです。元信者の認知症が進んでいても一時的に回復した時を見計らって署名をさせのではないかと勘繰りたくなります。
私が注目したのは自宅を売却し1億円超の献金をしたことに関し、最高裁は異例と判断して元信者の生活に無視しがたい影響を与えたとし「社会通念上相当」とは言えないと指摘したことです。この「社会通念上相当」という表現は社労士が関わる労働法等でもよく出てくる慣用句です。「社会通念上相当」以外では「客観的かつ合理的」という表現も良く出てきます。
「客観的かつ合理的」では「文書等で明示されているか」「具体的であるか」「誰でも知り得る状態にあるか」「法令違反等はないか」などがポイントです。次に「社会通念上相当」とは平たく言えば「一般的な常識的に鑑みておかしくはないか」ということです。本事例であれば元信者の資産状況が分かりませんが、1億円超の献金は一般常識を超す金額であると考えざるを得ません。最高裁は「元信者の生活に無視し難い影響を及ぼした」とあるので、元信者の生活は困窮だったのでしょう。
宗教は心の問題であり第三者、これは裁判所でも同じでしょうが、深入りできない問題です。しかし日本社会で布教している宗教団体であれば社会が常識的だと考えている基準や意識、風習等を完全に無視していいとは考えてはいけないでしょう。
最高裁は高裁に審理の差し戻しを命じました。5名の裁判官全員賛成での判決であり、高裁での審理では教団側は苦しい立場に追いやられると思います。どのような主張をするのでしょうか。最高裁が日本社会の空気を読みつつ、民法90条の公序良俗違反と同じ位の切れ味を示す「社会通念上相当ではない」という伝家の宝刀を取り出したことに少しびっくりしました。