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説明責任(アカウンタビリティ)について考える

 8月も20日を過ぎ、9月に入れば令和4年も残すところ4か月となります。さて9月には亡安倍元総理の”国葬”が営まれる予定です。昨日のTVを観ていると弁護士や大学教授らのグループが国費投入の差止を裁判所に訴えるなど、段々きな臭くなってきました。諸外国から首脳級クラスが”国葬”参列で数百名が来日するというのに、国論が二分している感じがしてなりません。

 国政レベルではこの国葬問題のほか、コロナ感染者の全数報告をどうするのかという問題も持ち上がってきました。これらの問題の焦点は「(国民に対して)どれだけ丁寧に説明をしているか」ということではないでしょうか。政府は「丁寧に説明している」というのですが、私の素直な感想では「丁寧に説明している」とは思えません。どんな事案でも賛成、反対、(分からないを含めた)中立など多様な意見・異見があるのは当然です。対象者全員の賛成を得るということは、強権国家・指導者でなければ絶対に無理な話です。

 「密室で決定された」「詳細・具体的な内容は知らない」「最後になってようやくわかった」等々、有権者である国民は、「知る権利」や「意見を述べる権利」の行使を求めています。政府や国会はこれらの要望に応えなければなりません。通俗的に言えば”説明責任(アカウンタビリティ)”をどの程度果たしているかでないでしょうか。

 この説明責任は会社経営においても言えることです。私は社会保険労務士ですので、人事労務の相談をよく受けます。このうち最も難儀なのが「解雇したい」です。好き嫌いの感情論で相手に対応すれば、相手も強烈な反撃を試みます。解雇に関しては「客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上の相当性があること」が重要な鍵を握ります。特に最後の「社会通念上の相当性」というのに注意が必要です。相手側に対して、「懇切丁寧に回数多く理解できるまで説明をしつくしたか」を労働法や裁判所は問うているのです。

 「ここまでしても相手がノーと言っている」のであれば、会社は相当程度の努力をしているのであり、解雇はやむを得ないという方向に事態は動いていきます。何に付けても「説明義務を果たす」ということは会社経営にとっては最重要な行為の1つであることを理解して欲しいものです。