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ロシア人排斥の動きを憂う

 北京オリンピックが2月20日に終了したあとのロシアのウクライナ侵攻。有史以来の歴史が語るように、世界に多数の国家が成立していれば、他国を自国の友好国又は敵対国と見做すかは時の指導者(とそれを支持する国民)の意思ではないでしょうか。今回のウクライナ侵攻では連日、ウクライナ市民の惨状が報道されて心が痛みます。しかし冷静に考えると、100対0で「良い又は悪い」を断定し、一般市民に対してもノーを突き付けるのは本当に正しいのかと悩みます。

 この侵攻を指示したのはプーチン大統領他ロシアの指導者達です。しかしロシア国民全てにノーを突き付ける行為は行き過ぎではないかと思うのです。今日(4月22日)の新聞やTVでも報道されていましたが、テニスの全英オープン(ウィンブルドン)にロシアとベラルーシの選手は参加させないという主催者決定は賛否両論が渦巻いています。ウクライナの選手は賛成し、男子第1位のジョコビッチは反対をしています。賛成だけではなく反対の主張にも素直に耳を傾けることも必要でしょう。

 この大会にロシア国を代表して出場となればノーは頷けます。しかし一選手として出場するのも禁止では、行き過ぎではないかと思います。欧州含めて多数の国家や地球人が、今回の侵攻に対し反対を唱えることは理解できます。しかし「右向け右」ではありませんが、全員が同じ方向に向いてしまい、「全てを受け入れない」となれば将来に向けて重大な傷を負うのではないでしょうか。

 思い起こせば昭和16年12月に始まった太平洋戦争で、米国に居を構えていた日系人は有無を言わせずに私財を没収され、強制収容所送りとされました。戦後かなりの年数を経たのち、米国はこの政策の誤りを認めました。当時の日本でも野球用語が敵性語だとして、全て日本語表記に変える茶番劇を行ったと歴史にはあります。

 JR東の駅にて案内板のロシア語表記が数日間見えないようにされたり、就職が内定していた会社から突然と内定取消メールが届いた留学生もいるようです。一部のロシア料理店では嫌がらせを受けています。国としての蛮行と一市民の私生活とは別物であるべきです。

 コロナ禍で飲食店が窮境に陥っている時期、まん延等防止や緊急事態宣言が発出している中、止むえず営業をしていた零細飲食店に「営業禁止」などの張り紙をして回る自粛警察が話題となりました。いつの間にか、私達日本人に「相手を許す」というおおらかな精神が失われてしまいました。

 本稿で私が記述している内容には思想的な背景はありません。ただ、国と国民・市民とは別な存在として考えるべきではないかと申し上げたいのです。また、全てノー又は全てYESという考え方は人類の繁栄の為にもリスクが大きいのではないかと懸念を持っていることをお知らせしたいのです。