· 

俳優竹中直人、「開会式の前日に式への出席を辞退」に思う

 新型コロナウイルスの新規感染者数の増加に歯止めがかかりません。昨日7月29日の新規感染者数はとうとう1万人を超えました。東京オリンピックの開催中ですが、東京都を含む関東圏だけではなく、関西圏や全国各地にも急増状態は飛び火しています。一刻も早く感染者数が減少傾向に転じて欲しいものです。

 今日の投稿はまたもや東京オリンピックに関してです。なお、新型コロナウイルス感染症に関してではなく、組織委員会絡みで、大会関係者が続々と退任、辞任、解任に至った理由や背景等についてです。今日の新聞に、開会式に参加する予定だった俳優の竹中直人が、「関係者に迷惑をかけてしまうから」と開会式前日に出席を断ったという記事が掲載されていました。どうやら過去の出演した演劇に問題があったらしいのです。

 自発的な辞任や欠席を問わず、周囲からの圧力により止む無く辞任したり、また解職にあった人々の心中は如何だったでしょうか。発言や行為そのものは非難や批判するに値するとしても、昨日や今日の発言等ではなく十数年前の発言等を咎められ、不本意ながらその職に留まる事を許されず、辞任等に至っている場合が多いように思います。

 「数十年前の出来事でも許されないのか」となれば、人々はリスクを冒してまでも挑戦することを止めてしまいます。勿論、人道的立場から、また道徳的、倫理的観点から許されないことは当然のことです。しかし、人は誰でも過ちを犯します。私でも65歳に至るまで、軽犯罪法的な行為を度々してきました。この場を借りてお詫びいたします。申し訳ございませんでした。しかしながら、人生の全ての場面において、刑法的、道徳的、倫理的な点で全く非難等を受ける行為等をしなかったという人がいれば、お目にかかりたいと思います。

 人は誤りを犯します。その誤りを犯したことを素直に反省し、その後の行為等に改善がなされているのであれば、社会的な側面から許容しても良いと思うのです。現に辞職等をした東京オリンピックの関係者も反省の弁を語っていました。現在はSNS等で無責任的な投稿が即座になされる時代です。また、一旦拡散されたデータは消去することは極めて困難です。よって、数十年前のちょっとした過ちまでも、「過去はこうだった」と永遠に責め立てられてしまうのです。

 不寛容な世界となってしまいました。一時的な誤りも、「本人は十分に反省しているのだから」とある程度まで許してくれる時代に戻ることはできないのでしようか。寛容という文字をネット辞書で調べると「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。」とありました。人心が砂漠化しないで、寛容な社会の一員として生活できる日々に戻って欲しいと切に願っています。