53歳での死去、少々びっくりしました。柔道家の古賀稔彦氏が、3月24日にガンのために亡くなりました。メディアではこの報道がさかんになされていました。私は随分前になるのですが、トキハ会館で古賀稔彦氏の講演会があり、生の声を聴いてきました。柔道に対する愛着の深さに感嘆しました。また私塾、古賀塾にかける思いを熱弁奮って語ってくれました。
私は本を読んだことはないのですが、「三四郎」とは明治の文豪夏目漱石が書いた著作です。ネットで調べたところ、本のあらすじでは柔道の「じゅ」の字も出ないのですが、主人公三四郎は柔道と何らかの関係があったのでしょう。と「三四郎」という本の話は脇に置いて、平成の三四郎、古賀稔彦氏に話題を戻したいと思います。
TVや新聞では1992年のバルセロナオリンピックでの金メダル獲得が話題にのぼっていました。大会中にも拘わらず、練習中に大怪我をし、鎮痛剤を打っての本番。誰しもが「だめかもしれない」と思っていたのに勝ち上がり、決勝戦では優勢勝ちで金メダルに輝きました。痛みに動じず、ひたむきに試合に臨む姿はTY観戦で応援していた日本国民を感動の渦に飲み込んだのです。
「〇〇の申し子」という言葉があります。古賀稔彦氏は「柔道の申し子」だったかも知れません。柔道の創始者である加納治五郎いわく、「柔よく剛を制す」を地で行っていたように思います。自分より体重が重いクラスの相手にも、得意技の一本背負いで立ち向かう。いや~、日本人の美的感覚をくすぐる活躍でした。引退後は古賀塾を開塾し、後進の育成に当たったと言います。
平成の三四郎、古賀稔彦氏の早すぎる死を悼むと共に、彼の生き様を思い浮かべつつ、私もこれからの職業人生を歩んでいきたいと思います。