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様変わりの令和3年の成人式

 昨日(1/11)は成人の日でした。「二十歳の門出を祝う式典が全国各地で挙行されました」と綴りたいところです。しかしその風景は昨年まででした。今年の式典は.....。残念ながら、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、中止した自治体あり、また延期した自治体もあります。また分散開催や、リモート開催、球技場など屋外施設での開催など、式典主催者である自治体の対応は千差万別でした。同じ日本人なのに、ある場所では笑顔が咲き、また別な所では苦渋に満ちた「仕方ない」という声を絞り出す若人たち。何かやるせなさを感じてしまいました。

 思い起こすこと今から45年前。私も20歳に達し成人式を迎えることになりました。とは言うものの、私は成人式には出席していません。大分県の片田舎竹田市から、関西の大都会大阪市の大学に入学した私は、20歳になったことの実感がなく、「20歳になった」と脳裏に走ったのは20歳の誕生日を過ぎた2日後でした。男3名を育てた両親にとっても、娘がいないこともあり、我が子が成人を迎えたという実感が湧かなかったかも知れません。当時はスマホもなく、公衆電話と葉書が唯一の実家との交信手段でしたから、両親も「おめでとう」などと気の利いたメッセージを私に寄せてくることなどなかったのです。

 それから30数年たって私が父親となったとき、3人の子どもが順次成人式を迎えました。最初は長男。男性で学生の身分ですから、そんなに感慨深いものはありませんでした。しかし次は娘たちです。学生ではあったのですが、二人同時に成人式を迎えました。そう、娘二人は双子なのです。19歳の夏に晴れ着を着ての事前の写真撮影。母親はニコニコ顔で娘二人に付き添います。その一方で、父親の私は運転手で写真館への送迎に徹するのみ。このような時、男親は嬉しいやら、また何もすることなく時間を費やすのみなのです。

 そして翌年の成人式の日。朝5時に起きで、娘たちを美容室に送り届けます。それも母親同伴で。一旦帰宅した私は、妻からの「できました」との連絡を待つのみ。やがて「できました」とのメールで再び美容室へ車を走らせます。そしてそのまま式典会場へ。その日の最後は娘たちからの「迎えに来て下さい」のメールを受けて、再び式典会場の周辺に行ったのです。

 何故、このように我が家の成人式風景を綴ったのか、と読者の皆さんは思ったかも知れません。人生には色々なエポックがあります。誕生の日、入園・卒園の日、入学・進学・卒業の日、社会人となった日等々です。晴れ晴れしい人生を歩むに当って、成人を迎えるというのは、前出の日々よりも遙かに価値ある日だと思うのです。成人式を迎えられなかった人たちの心中を察し、拙いエールを送りたいと思います。「君たちの人生は始まったばかりです。艱難辛苦も人生の一里塚だよ。前を向いて、頭を上に上げて進もう」と。また、彼ら彼女らをここまで育て上げてくれた親たちにも感謝のメッセ―ジを送りましょう。「素晴らしい日本人を育ててくれてありがとうございました。これからも彼女ら彼らの心の支えとなって下さい」と。