人がこの世に出生したあと、貧富の差や学歴、職業、収入、性別などの差異があっても唯一みんなに公平に与えられているものがあります。それは「時間」です。ある人には一日に25時間の時間が与えられ、また別の人は23時間の時間しか与えられないということはありません。みんな平等かつ公平に一日24時間という時間が与えられているのです。
この一日24時間の使い方によって、例えば「事業に成功する」「お金持ちになる」「社会的ステータスの高い職業に就く」などの成果に明確な差異が表れるのです。19世紀末から20世紀初頭に活躍した発明王エジソンは一日の睡眠は3時間あればこと足りたらしいです。とすると24時間から3時間を差し引いた21時間を睡眠以外の時間に当てることが出来たということです。食事をしたり、お風呂に入ったりしたでしょうが、発明という仕事に割当可能な時間は他者よりも多かったことは明らかです。一方、一日の睡眠時間は10時間必要という人もいるかも知れません。とすると14時間(24H-10H)しか残っていません。生産的な活動に費やす時間は更に少なくなっています。
今日(令和2年11月20日)の日経MJに面白い情報記事が掲載されていました。題して「「1日25時間』生活のすゝめ」という記事です。前出のとおり全ての人に平等な一日24時間なのに、「1日25時間』生活」とはどういうことでしょうか。記事を読んでいくと極単純なことなのです。一日は24時間ですが、1時間は60分で24時間だと一日は1440分となります。この1440分を25時間で割ると、一時間当り57.6分となります。2.4分(60分-57.6分)に25倍すると1440分です。要は1時間を60分ではなく、57.6分として考えて過ごすようにしようということです。
この考えを水平展開すると、60分で一仕事を終えようと考えているところ、57.6分で完成させるのですから、時間当り生産性を4%(1-(57.6分÷60分))向上させなければなりません。4%の生産性UPはそんなに難しくはありません。60分の仕事時間中で息抜きをしている時間は必ずあります。また集中している時間が途切れ途切れになっているかも知れません。さらに仕事中に外部から電話がかかったり、メールやSNSへの対応に追われていることもあるでしょう。これらの時間は非生産的な時間帯なのです。
このように考えると集中する時間を意識して創れば良いのです。集中する時間帯を長くすれば良いのです。集中する時間帯と息抜きをする時間帯を明確に区分すれば良いのです。電話に出ず、メールやSNSへの応対は一仕事終わったあとにすれば良いのです。この様な仕事のやり方を変えることで4%の生産性向上は容易に達成できます。
さて話を元に戻すと、24時間から25時間へと一日の時間概念を再構築するのですから、問題は浮いた1時間を何に使うかという新たな課題が発生します。「趣味の時間」や「資格取得のための学習時間」に当てたり出来ます。また「副業の時間」や「体力づくりに励む時間」にすることも可能でしょう。一日を25時間として生活していくと、自分の人生が質的に向上するかも知れませんね。