昨日4月1日は日本国中で、5月1日に新元号となる「令和」の話題で持ち切りでした。夜のNHKニュース9時代では安倍首相が出演され、「令和」に決まるまでの過程や何故「令和」となったのかその理由を説明していました。ニュースでは街中で「令和」のイメージを訊いていましたが、押しなべて「もう少し」という感じでしょうか。その理由の一つは、令という文字がこれまでの248もの元号に一つも使用されていなかったことが挙げられます。また「新しい」ということでごく自然な言葉として定着していないから、腑に落ちないのですね。これは当然! 昨日の午前11時40分に発表されたのだから、国民に馴染んでくるには時間がかかるのは当然でしょう。
私は万葉集を原典にしたということに、日本人として誇りを感じました。「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」から令和を創案したとのこと。この序文の意味は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。」ということだそうです。素晴らしい!!
万葉集は奈良時代末期に編纂され、農民までの和歌が収められています。貴族や官僚、歌人以外の一般庶民まで幅広く収められているなんて、絶対に他国ではありえない!!! 地域も朝廷があった近畿地方だけではなく、日本全国に広がっています。本当に日本的です。漢字を使いながらも音を万葉仮名文字として上手く活用しています。良いところを活用しつつ新たな発想で一つ上の文化や技術を創造してきた日本人のルーツを見るようです。
残念ですが「令」を命令など「従わせる」という意味で解釈し、安倍政権の姿勢を問う声が一部の政治家から出ていました。何でこのような思考になるのでしょうか。とても不思議です。
文字には音読みと訓読みがあるように、多様な解釈ができます。よって、このように読み解くことも可能ですが、普通!の日本人はこのようには理解しません。「令嬢」「令息」などにみる様に令を「よい」とか「立派な」、「相手の親族に対する敬称」というよにな肯定的に受け入れています。
私は令を「良い」「立派な」と意味で理解し、和を「平和」「和む」という心の安らぎとして理解したいです。待ち遠しいですね。令和元年!